LOGIN「三日森、ちょっと相談したいことがあるんだ。ここだとなんだし、屋上まで来てくれないか?」
放課後、そう言って僕の予定を狂わせたのは滝沢だった。
いつになく真剣な顔した友人を無碍にもできず、僕は月子と話すことをあきらめて、滝沢の後について屋上まで足を運んだ。 明るく幅の広いモダン建築の階段を上ると両開きのガラス扉が見えてくる。そこを開けばプランターに色とりどりの花が植えられた生徒たちの憩いの場が広がっているのだが……「暑い……」
「そ、そうだな」僕の隣で顔をしかめる滝沢。今は半日授業なので日差しも強く、とても外に出る気がしない。
とりあえず予定を変更してガラス扉を閉めると、回れ右をして空調の効いた踊り場で話を聞くことにした。ちょうど長イスまで置いてあって雑談するにはちょうどいい。「それで滝沢、相談ってなんなんだ?」
「う、うん、それなんだが……」滝沢はこちらに顔を向けることもなく、なにやら言いにくそうにしている。急かす必要もないので、僕は気長に待つことにした。
我が校の全館冷暖房完備の謳い文句はダテではなく、こんな屋上の出入り口ですら快適だ。両開きとなったガラス扉の向こうには目映い光に照らし出された屋上が別世界のように広がっているが、こうして眺めている分にはむしろ心地良い。遠くから響くセミの声も、ここでは子守唄のようなものだ。 壁に視線を移せば大きなボードに様々なポスターやプリントが貼り出されている。中には壁新聞もあって、都市伝説も同然の屋根の上に現れるマッチョ男がどうのこうのというくだらない記事もあった。 それにも見飽きて、だんだん退屈し始めた頃、ようやく滝沢は口を開いた。「三日森、お前って月子さんと仲がいいよな」
「……て、またその話かい?」 「いや、そういう意味じゃなくてさ」 「じゃあ、どういう意味?」 「俺よりは仲がいいってことさ」 「まあ……自惚れじゃないなら、友だち程度には思ってもらえてると思うけど」 「実は月子さんに聞いてもらいたいことがあるんだ」 「聞くって、なにを?」 「つき合ってる奴が居るのかどうか」意表を突かれて僕は滝沢を見た。
「た、滝沢! 君は、まさか月子のことを――」
「いや、違う!」滝沢は慌てて強い口調で否定した。そして視線を逸らして頬を赤らめると、その頬を指先で掻きながらボソリと言った。
「俺が知りたいのは花屋敷さんのことだ」
「花屋敷さん……?」 「月子さんと花屋敷さんは仲がいいだろ? だから、彼女なら花屋敷さんに彼氏がいるかどうかくらいは知ってると思うんだ」そこまで言われて、ようやく合点がいった。毎度のことながら僕は察しが悪い。長らく他人に関心がなかったせいかもしれないが、考えてみれば、それでよく僕はこいつの友達面ができたものだ。
どうせ向こうだって僕のことなんか、学校だけの暇つぶしの相手としか思っていないと決めつけていたけど、そうでないなら僕のほうが、よほど酷いことをしていたことになる。 もちろん滝沢の内面なんて僕には見えないが、だからこそマイナスの方向に決めつけるのは間違っていたはずだ。 仮に期待して失望するようなことがあったとしても、それを怖れていては僕にはいつまで経っても本当の友達なんてできやしないだろう。 それに僕はもう月子を知っている。この世に信頼に値する人間が居ることを知っているんだ。だから僕は今、心からこいつの力になってやりたいと思った。「わかったよ、滝沢。それぐらいはお安いご用だ」
僕が告げると滝沢は心底嬉しそうな顔になった。
「サンキュー、三日森! やっぱ、お前は俺の親友だよ」
親友なんて言われて、それだけで舞い上がれるほどには僕はもう純粋ではない。かつて僕をそう呼んでいたガキどもは揃って僕を裏切った。
それでも僕はもう一度滝沢を信じようと思う。それができなければ僕はあのガキどもにも負けたままだ。 決断すると僕は立ち上がって滝沢に言った。「とりあえず、月子を捜してみるよ。まだ学校に居るかも知れない」
「お、おう。見つからなかったら、また明日でもいいからさ」 「了解」答えると僕は階段を一段抜かしで駆け下りて教室へと向かった。
◆ 他に誰も居ない教室で月子はひとり自分の椅子に腰掛けていた。 僕が入ってきたことにも気づかず、ぼんやりとした視線を窓のほうへと向けている。ひどく遠い眼差しで、その目が何も映していないことは明白だった。 そこに浮かんでいるのは笑みではなく、悲しみではなく、だからといって無表情でもない。その横顔は見ているものの胸を締めつけるほどに儚げで――とても綺麗だった。 いったいどうしたというのだろうか? 声をかけるタイミングが見つからない。 息を呑んで僕は立ち尽くす。その視線の先で月子が、ゆっくりと口を開いた。「お腹空いたなぁ」
ぼやくような呟きに僕はずっこけそうになった。そのとき机にぶつかった音が聞こえたのだろう。月子が振り向いて言った。
「あれ、三日森くん? まだ居たんだ」
「あ、ああ」こちらを向いた月子の顔は馴染みのある笑顔だ。とりあえず僕が頷くと、彼女は目を細めて、からかうように言ってくる。
「教室でひとり黄昏れる女子のアンニュイな
相変わらずの調子に、さっきのはなんだったんだと内心で嘆息しつつも、僕はとりあえず目的を果たすべく彼女の方に近づいた。
「月子、ちょっと聞きたいんだけど」
「なにかしら? いや、待って。君って変な奴だから、きっと変なことを聞いてくるよね。たとえばデリカシーもなく体重は何キロとか?」 「いや、そんなことを聞いてどうすんのさ」 「それはこっちが聞きたいわ」 「そんなこと言われても、聞く気がないのに答えようがないだろ」 「うーん……。じゃあ、スリーサイズのほうか」 「前から思ってたけど、月子って発想が少しエッチだよね」 「なんですと!?」月子は目を見開いて心外そうな顔をした。
「だって前にも寝取られ寝取られって」
「君を焚きつけるためでしょ。言うほうだって恥ずかしかったんだから」ぷいっと横を向いてしまう。その仕草がかわいらしくて僕は少し笑った。
「ごめんごめん」
「それで、なにを聞きたいの?」そっぽを向いたまま横目で聞いてくる。
「花屋敷さんってさ、つき合ってる人とか居るのかな?」
「滝沢くんね」 「え?」 「彼に頼まれて聞きに来たんでしょ」 「なんで判るんだ? やっぱり名探偵なのか」 「普段の彼の態度を見てれば咲良に気があることなんて一目瞭然でしょ」何をか言わんやという顔で月子は僕を見た。
「そ、そうなのか……」
正直言って、僕はついさっき滝沢から聞くまで、そんなことは微塵も思わなかった。そもそも友人の恋路なんてものに関心がなかったのだけど、僕がそうであるように彼らだって恋をするのはあたりまえだ。
僕が軽い衝撃を受けていると、月子は先ほどの質問に対する答えを渋ることなく返してくる。「居ないはずよ。もちろん、わたしが知る限りだけど」
「そ、そうか、良かった!」僕は礼を言うのも忘れて、滝沢に報告するために踵を返した。
「あっ、ちょっと」
「ごめん、また今度」それだけ言って僕は教室を後にした。
階段を一段抜かしで駆け上がると、踊り場で不安げな顔で待っていた滝沢に声をかける。「滝沢!」
「み、三日森、どうだった?」 「大丈夫だ。月子が知る限り居ないって」 「そ、そうか!」さっきまでの冴えない顔が、途端に花が咲いたように明るいものへと変わる。友達が喜べば僕も嬉しい。そんな当たり前の気持ちを僕は再確認した。
滝沢は大げさに僕の両手を取って何度も頭を下げてくる。「ありがとう、三日森!」
その大げさな態度に僕のほうが恐縮してしまう。
「いや、大したことはしてないから……」
「俺、告白するよ」 「え?」 「明日、花屋敷さんに告白する!」 「そ、そんなに早く?」決断の早さに僕は目を丸くした。
「いや、早くはねえよ。一年の時からずっと片想いしてたからさ」
「そ、そうなのか。気づかなかった」 「こんなこと、なかなか人には言えないからなぁ。田中に知られたら、ぜってえおちょくられるし」 「そ、そうかな?」 「けど、お前にはもっと早くに相談しとけばよかったかもな」 「え……」 「とにかく明日。明日だ」自分に言い聞かせるように言うと滝沢は表情を引き締めて僕に言う。
「もし俺が尻込みして逃げ出しそうになったら、構わねえからケツを蹴飛ばしてでも、前に進ませてくれ」
こいつは男だ。僕はそう思った。
自分はといえば今さら語るまでもない体たらくだというのに。「わかったよ、滝沢。僕にできることなんて本当にそれぐらいだろうけど応援してるからな」
「ああ。ありがとう、三日森!」滝沢のその笑顔を見て、僕はふたりが上手く行くことを心から願った。
公園で爽子にすべてを話し終えたとき僕はまた泣いた。背中から回された彼女の両腕が僕をぎゅっと抱き留めてくれている。「爽子、僕は本当にバカな男だ」 「ええ」 「本当はずっと昔に月子に救われていたのに、それを忘れてよけいな面倒をかけていた」 「ええ、そのとおりね」 頷く爽子。だけど、その声はやさしい。「月子はずっと僕を覚えててくれたんだろうな。何度もヒントをくれていたのに僕はそれに気づかないままで……」 「いい人ね、彼女」 「うん」 頷いて月子の顔を思い浮かべる。 いつも明るく笑っていたけれど、本当は彼女こそがいちばん傷ついていた。それはきっと冷たい雨に打たれ続けるような凍えるような痛みだったはずだ。 それなのに彼女は自分の痛みをそっちのけにしてまで僕に手を差し伸べてくれた。「僕は……月子になにもしてやれてないのに……」 今さらながらに僕は悔やんだ。もっと月子に踏み込むべきだった。気になることがあったのに不安と向き合うことを怖れて僕はそれを怠ったんだ。「なのに、月子はこんな僕にありがとうって……」 「あなたの好意が月子さんを守ったのよ。もし彼女が自分で自分を傷つけるようなまねをすれば、あなたと交わした――わたしは君を裏切らない――という約束に反してしまうから」 爽子は僕の背中に顔を埋めるようにして囁いた。「だから、彼女は今もきっと……」 その呟きを聞いて僕は黙ったまま空を見上げる。 あの台風の日、月子は自分の命さえ投げだそうとしていた。 なのに僕との約束を守るためだけに、それをあきらめて生きることを選んだのか。 今も癒えぬ悲しみを抱えたまま、それでも僕を悲しませないためだけに幸せを探すと約束してくれたのか。 彼女はきっと、その約束を守りつづけるだろう。沢木南月子とは、そういう娘なのだから。「わたしは君を裏切らない――か。まるで魔法の言葉だな。彼女はその言葉で僕を救い、自分自身をも守っているんだ」 「それだけじゃないわ」 背中から回された
「なにも言わずに一日つき合って欲しいんだ」 僕の唐突なお願いを爽子は快く聞き入れてくれた。 その日も晴天で、鮮やかな青空の向こうには霞のような雲が薄くかかっている、山間の道を抜ける風は爽やかで散歩をするには最高の日和だ。 あの日、学校で盗人扱いされて親父にまで殴られた僕は、家を飛び出して線路沿いの道を無我夢中で走り続けた。 その道を僕は今、再び辿っている。 僕が冴えない顔をしていたためか、爽子は僕の手をぎゅっと握り続けている。実際、それは僕に勇気を与えてくれていた。 道すがら今日までのことをできる限り詳しく爽子に説明した。あまり他人に聞かせたくない失敗も、もしかしたら爽子が怒るかもしれないことも、包み隠さずにできるだけ正確に伝えたつもりだ。 爽子はそれを静かに最後まで聞いてくれた。 子供の頃、転校していく彼女と僕は永遠の友情を誓い合った。だけど、そのとき僕たちは指切りはしていない。それは今日、あらためて爽子にも確かめてみた。 僕は爽子と爽子以外の女の子の記憶を混同させてしまっていた。その相手が本当は誰だったのか。どんな約束を交わしたのか。それを僕は確かめなければならない。 爽子の手を引くように、あるいは爽子に手を引かれるように歩いていく。 山中を通って線路脇を走り続ける長い道だ。急な勾配はないが、ゆるやかに上がり続けるか、下り続けるかを、ひたすらに繰り返している。古びたアスファルトはところどころ舗装し直されているが、ひび割れが多く、白線も薄れて消えかけているところが多い。 いくら我を忘れていたとしても子供の脚で動ける距離などたかが知れている。そう思っていたのだけど、当時の僕は呆れるほどのガッツ?を見せたらしく、それらしい場所には、なかなか辿り着かなかった。 それでも山をいくつか越えたところで、ようやく開けた場所へと辿り着く。 低い山を切り開いて作られた住宅地だ。周囲にはいくつもの田園が連なるように広がっている。 見覚えがあるというほど記憶は鮮明ではなく、昼夜の違いによって印象も異なるだろうが、体力的に考えても、ここを抜けて次の町に行ったとは考えにくい。 とりあえず闇夜
我がクラス最後のホームルームはやたらと盛り上がった。担任の先生には悪いのだけど月子に会っておきたかった僕は、ただひたすら早く終わってくれとばかり念じていた。 しかし、実際に終わったのは月子のクラスよりも30分遅れで、校庭にはまだまだたくさんの生徒が残っていたが、そこに彼女の姿はなかった。 後輩の女子に呼び止められて一緒に写真をとせがまれたので、そのついでに聞いてみたところ、どうやら月子は告白しようとする男子達から逃れるために、猛ダッシュで校門を飛びだしていってしまったらしい。 なんとも情緒に欠ける卒業式だと呆れる一方で彼女らしいとも思う。振り向くことなく前向きに突っ走っていくのが彼女のスタイルなのだろう。 しばらくしてから僕はようやく自分などが記念撮影をせがまれたことに気づき、遅ればせながら感動しつつ、卒業の余韻に浸っていると滝沢と田中が現れて、そこからまた大いに盛り上がった。 けっきょく二時間近くも校庭で時間を潰したあとで、お互いに手を振ってそれぞれに帰路へと向かう。 滝沢と花屋敷さんの大学は関西圏で、田中は関東だけど僕の大学からは遠い。それでも、ふたりとは落ち着いた後で連絡先の交換を約束したし、いずれまた会えるだろう。 残念ながら爽子の学校とは卒業式の日程がズレているうえに、今日は用事があるらしくて夕方まで会うことはできない。今から彼女の町まで行ったところで時間を持て余すように思えたので、僕は取り立てて目的もなく商店街へと足を向けた。 何度となく利用した書店やCDショップ。ファーストフードのお店に、たまに利用していた弁当屋。見慣れた街並みも、これで見納めかと思うと寂しさが込み上げてくる。 ここは地元の町以上に僕にとって故郷も同然になっていたようだ。 いつかまた来たいとは思うが、その頃にはきっと、いろいろなものが変わってしまっているはずだ。それは寂しいことだけど僕が高校で変わったように、街も変わっていくのが自然なことだ。そう思えば納得できないことではない。 そして、僕はいつぞやの映画館の前で足を止めた。 かつてホラー映画のものだった看板は、今はよく知らない洋画のものに変わっている。 思い返せば、ここでの
「結局、これが報いってものか……。神よ……僕は本当に愚かだった」 二学期が始まって間もない頃、ミュージカルの舞台俳優のように田中は身振り手振りを交えて天を仰いだ。「名演だ。完全に田中葉太になりきっている」「いや、当人だから」 花屋敷さんが滝沢のボケに突っ込んだ。田中は、それを無視してチラリと僕を横目で見ると演技(?)を続ける。「ああっ、滝沢のみならず、三日森にも美人の彼女ができて僕だけが独り身だなんて……」 名優田中は片膝を突いて両手を広げ、まるで神を呪うかのように言った。 それを半眼で見つめながら僕は思ったことを口にする。「ほっとくと、このまま歌い出しそうだな」「美声に期待させてもらうわ」 つづいて言ったのは花屋敷さんだ。 田中はガックリとうなだれたあと、恨めしそうな目で僕を見てきた。「お前だけはずっと独り身のまま歳を取って、寂しい晩年を送るものだと心の底から信頼していたというのに、この裏切り者め」「いや、そんな信頼はいらないから、お前も早く彼女を作りなよ」「作ろうったって、そんなに簡単にできたら誰も苦労しないよ。だいたい、お前らの彼女に釣り合うような女なんて――」 そこで言葉を止めると田中は月子を見た。 彼女は少し離れたところで別のクラスメイトと楽しげに話し込んでいる。 田中の視線を追いかけたところで滝沢は言った。「無いな」「うん、あり得ない」 花屋敷さんがつづけると田中は渋い顔をしたが、結局なにも言い返さずにうなだれた。 夏休みの間中に田中と滝沢の関係は修復されていた。どうやら田中が、きちんと頭を下げてあやまったらしい。そうなれば気の良い滝沢が許さないわけもなく、仲直りは思った以上にすんなりいったようだ。 僕としても殴った責任があるので田中に頭を下げようとはしたけれど、それは当の田中に断られてしまった。「ダチが間違ったことをしたんだから、殴ってでも目を覚
デートの当日は実に夏らしい陽気だった。 ほとんどの民家で、朝から室外機が唸りをあげて、エアコンがその存在意義をいかんなく発揮していることだろう。 家を出て坂道を見下ろせば、あざやかな青空の下には輝く海原が広がっている。入道雲を背景にして白いヨットが行き交い、砂浜にはすでに大勢の海水浴客が繰り出していた。 今すぐにでも彼女を連れて、そこに向かって駈け出したいところだが、まずはその彼女――七未貴爽子を連れてこなければ話にならない。 僕は逸る鼓動を抑えながら駅へと急ぐ。 通い慣れた坂道は太陽の光が降り注ぎ、焼けたアスファルトで陽炎が揺れている。 朝からこの陽気だと昼の暑さはたいへんなものになりそうだ。でも、だからこそ海水浴には最適だと思える。 電車に乗って彼女が現れる駅までおよそ30分。僕はどんな言葉をかけようかと、そればかり考えていて、彼女が来ない可能性については、ほとんど気にしなかった。 そもそもが電話番号さえ知らない相手との曖昧な口約束だったけど、他ならぬ月子の推察だ。外れているとは思えない。 不思議なことに名前を思い出して以来、爽子との思い出は次から次へと甦ってきていた。僕は電車の窓から覗く流れる風景の中に、それを映し出しながら時を過ごす。 大人しくて、どちらかといえば引っ込み思案だった彼女が、今のような強気な美人になるまでに、どんな時を重ねたのだろうか。それが有意義な時間だったことを願わずにはいられないが、その変化の中でも変わらず僕との約束を大事にしてくれていたのなら、それはこの上なく嬉しいことだ。 僕は長らく自分が不幸なつもりでいた。だけど本当は逆かもしれない。 爽子のような女の子に、ずっと想われ続けていたのだとすれば、これほど恵まれた男も希なはずだ。(まったく、ダセえ話だ) なんとなく滝沢ふうに内心で呟いてみる。 でも自分の愚かさには本当に苦笑するしかない。今まで僕は過去のトラウマを相手に、ずっと独り相撲をとり続けていた。 でも、まだ間に合うはずだ。 目的の駅に列車が止まり、約束どおり8時前に待ち合わせのホームに降り立った僕は、足早に階段を駆
若いカップル、恋人同士――そんな言葉が当たり前に思い浮かんだけど、そのまま言っても月子は怒らないだろうか。 いや、怒るわけはないけど僕の方が恥ずかしい。 少し迷った末に僕は朴念仁っぽい答えを返すことにした。「仲のよいクラスメイトかな」 「それだとムチャクチャ鋭い人たちってことになるわね。実態を言い当ててる」 気分を害したふうもなく自然に笑うと、月子は砂浜に向かって歩き出した。 その手を僕が掴む。「三日森くん?」 「頼むから、君は海へは近づかないでくれ」 強ばった顔で告げると月子は困ったように笑った。「いや、今日は大丈夫よ。天気もいいし、変な声も聞こえない」 「ダメだ。原因だって判ってないんだし、もし万が一のことが君にあったら……」 「そんなこと言われても、まさかこれから先、一生海に近づかないってわけにはいかないでしょ?」 「できればそうして欲しいくらいだ」 「いや、さすがにそれは、わたしがイヤなんだけど……」 月子が笑みを引きつらせても僕は手を放さなかった。 そんな僕を見て月子は困ったように笑う。「わかったわ。それなら手を繋ぎましょう」 「え?」 「もしわたしが変になっても三日森くんが手を握っててくれれば大丈夫でしょ?」 「それはまあ……」 浜辺を見ると風が強い分、波はやや高いが危険を感じるほどではない。僕は渋々頷いて手を放した。 月子はそんな僕を見て、はにかむように微笑むと、そっと手を差しだしてくる。 その手の白さに今さらながらに気後れしながら、それでも僕は手を伸ばして、そっと握り返した。月子の手は海辺の風にさらされていたせいか思ったよりも冷たかったけど、やわらかくて心地良い感触に僕は秘かに胸をときめかした。「じゃあ、行くよ」 月子は僕の心境に気づいた様子もなく、なにげない足取りで波打ち際に近づいていく。「濡れるよ」 「じゃあ脱ぎましょう」 平然と言うと月子は手にして